「経済人」の終わり

『ドラッカー365の金言』4月13日・『「経済人」の終わり』より

今日の頁は、ドラッカーのチャーチルへのオマージュだ。そして、そこまでドラッカーに認められたチャーチルの行動を集約したものが、今日の金言だろう。つまり、理想的なリーダの実例がチャーチルであり、その実例から導き出された行動規範が今日の金言なの…

『ドラッカー365の金言』4月12日・『「経済人」の終わり』より

チャーチルが本物のリーダであるということを疑う余地はないだろう。しかし、それでも今日の本文にあるように、実際に舞台に上がり成果を挙げるまで、ほとんどの人は彼に期待をしていなかった。そんな、中でドラッカーは何を見てチャーチルに期待することが…

『ドラッカー365の金言』1月20日・『「経済人」の終わり』より

人は言葉によって思考する。そのため、あらゆる概念は言語化しなければ、それを認識することができない。そして、その言語化した概念を利用して世界を規定する。また、社会は人間の活動の総和として存在するものなので、その人間をどのように認識するかによ…

『ドラッカー365の金言』12月26日・『「経済人」の終わり』より

本文で挙げられている「平等」は、社会性を必要とする人類の根源的な欲求だし、「安全」はより原始的な生物としての根源的な欲求だ。それと比べて、「自由」はより高度な精神的な活動を必要とする欲求だと思う。 そもそも、本当に自由であることを望む人はあ…

『ドラッカー365の金言』12月24日・『「経済人」の終わり』『すでに起こった未来』より

本文中で述べられている「人の実存を社会における実存とする」という考え方は、群を作る動物や、太古の人類には当てはまっているように思う。しかし、人間は精神を発達させ過ぎてしまったために、個体としての実存を求める様になってしまったのかもしれない…

『ドラッカー365の金言』10月18日・『「経済人」の終わり』より

本文冒頭の文を読むと、違和感を感じる。資本主義というのは、そういう不穏当な部分を持つシステムだということだ。そして、その不穏当な部分が露呈したのが金融危機なのだと思う。 6/24 の頁にもあるように、ドラッカーは 21 世紀には NPO 爆発的成長が必要…

『ドラッカー365の金言』10月17日・『「経済人」の終わり』より

正直いって宗教のことは良く分かりません。 本文を読むと、現在の少なくともキリスト教は、社会においての良心であり、また、そのために政治勢力や社会勢力にはなりえないと書いてある。もしそうであるならば、個人的には健全な状態ではないか思う。「経済人…

『ドラッカー365の金言』6月28日・『「経済人」の終わり』より

ここでいう経済発展を、個人に置き換えて個人の所得増と考えると、より理解しやすいと思う。所得を増やすことは、うっかりするとそれ自体が目的化してしまうけれども、本当はより良い人生をおくるための手段にすぎない。社会は個人の集合なのだから、この考…